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二十の扉 リンク集

二十の扉(にじゅうのとびら)とは1947年(昭和22年)11月1日から1960年(昭和35年)4月2日まで毎週土曜日の19時30分から30分間、NHKラジオ第1放送で放送された日本のクイズ番組である。敗戦の2年後から1960年代にかけて、NHKラジオの看板番組であり人気番組であった。

アメリカで放送されていた同様のクイズ番組『Twenty Questions』(二十の質問)をモデルに、CIEの指導のもとで製作された。 番組を製作するにあたって、日本独自の様々な工夫が施された。"Questions"を扉とみなして1つ1つ扉を開けていく様子をイメージし、テーマ曲を使わないで扉をノックしてから開ける音で番組を始める演出がされた[1]。また、問題はすべて聴取者から寄せられた。 司会は藤倉修一。宮田重雄(医師、画家)、柴田早苗(女優)、藤浦洸(作詞家)、大下宇陀児(作家)らがレギュラー解答者を務めた。藤倉は当時『街頭録音』や『社会探報』などの社会派番組を担当していたが、その活躍を見たCIEの担当によって抜擢された[1]。そして、レギュラー解答者は芸能人とは別に知性とセンスがあるとされる人物をCIEが直接面接を行った末に選出した[1]。 放送はNHK第1スタジオで公開で行われた。出題のはがきが毎日平均890通、第1回から第200回までの4年間に約130万通も送られ[2]NHK放送文化研究所が1948年11月から始めた聴取率調査では何度も1位となり[2]、大人から子供まで世代を問わずに誰でも楽しめたことから国民的な知名度と人気を誇った。 この番組で司会の藤倉修一が使う「ご名答」が流行語となった。

また、レギュラー解答者による通常の放送のほかにも「ゲスト大会」が頻繁に開かれた。歌舞伎界、政界、プロレス界、文壇などといった、普段あまりクイズとは縁のなさそうな分野からもゲストを招いた。 ルールは通常とまったく同じだったがクイズとそれほど関わりのなさそうな解答者たちが懸命に考え、答えを出そうとする姿を通して解答者たちの意外な一面が見られることもあり、レギュラー解答者による通常の放送とはまた違った楽しみや盛り上がりがあった。聴取者にとっては、ゲスト解答者が答えを考えている姿を想像するというのもこの番組ならではの楽しみ方だった。

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


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